被爆資料

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資料詳細

識別コード 1101-0005
資料名 机の天板
資料名(英語) Desktop
寄贈者(カナ) 片岡 恒子(カタオカ ツネコ)
寄贈者(英語) Tsuneko Kataoka
受入年月日 1998/01/30
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 1515×30×910
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 国泰寺町
被爆地(現町名) 国泰寺町一丁目
爆心地からの距離(m) 1020
数量 1
内容 市役所援護課長だった片岡克己さん(当時50歳)は、原爆により即死した。県立広島第一中学校生徒だった息子の修さん(当時13歳)も爆心地から900mの学校で被爆、逃げる途中克己さんを捜しに市役所に行き、頭部を飛ばされた遺体と対面した。その時には、遺品を持ち帰ることを思いつかなかった。19年後の1964(昭和39)年夏、父親の知人たちが、父親が使用していた机の天板に寄せ書きをして贈ってくれたものを、修さんは遺品として大切に保管していた。父親を失い、自身も被爆後に脱毛、血便といった症状で倒れた修さんは、グラフィックデザイナーとして平和ポスターを制作、被爆の後遺症に苦しみながらも平和活動に打ち込んだ。
ブロック別 国泰寺・千田地区
展示説明文 義父の片岡克己さんは市役所で勤務中に被爆死しました。頭部を飛ばされ即死の状態で、家族の中で唯一父親の遺体を確認した修さん(当時13歳)は、大変つらい思いをしましたが、遺品は何も持ち帰りませんでした。その後、父の知人たちが父の使っていた机に名前を連署して贈ってくれたので、貴重な遺品として大切に保管していました。
展示説明文(英語) Tsuneko's father-in-law, Katsumi Kataoka, was killed by the bomb while working at Hiroshima City-Hall. Apparently he died instantly. When found, his head had been severed from his body. His son Osamu (then 13) went alone to identify his father's body and suffered a terrible shock from the sight. He brought nothing home. Later, his father's colleagues signed the desktop his father had worked on and delivered it to the bereaved family in remembrance. They always treasured it as the precious remains of their father.
資料性質 被爆資料
収蔵場所 収蔵庫3

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