被爆資料

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資料詳細

識別コード 3101-0010
資料名 中学生の服
資料名(英語) Uniform of a junior high student
寄贈者(カナ) 朝日 輝一(アサヒ テルイチ)
寄贈者(英語) Teruichi Asahi
受入年月日 1968/09/14
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 300×520
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 中島新町
被爆地(現町名) 中島町
爆心地からの距離(m) 600
数量 1
内容 県立広島第二中学校1年生の朝日俊明さん(当時13歳)は、先生・生徒325人と共に中島新町の建物疎開作業現場で被爆した。ほとんど全滅の中から、重傷の朝日さんは、川に入って一時を過ごした後、火の中をくぐり、川の岸辺を遡って逃れ、約4時間後長束付近で知人に発見された。その後父親に自転車で祇園に運ばれ、応急手当の後、馬車で夕刻可部町の自宅に連れて帰られた。重傷の身ながらも被災状況を語り、学友のこと、休学手続きのことまで話し、耐えがたい喉の渇きにも耐えて、殆ど水を口にすることはなかった。出来る限りの手当てをしたが、9日朝、「お世話になりました」と言い残して、母親の膝の上で死亡した。
ブロック別
展示説明文 県立広島第二中学校1年生の朝日俊明さんは、先生・生徒325人とともに建物疎開作業現場で被爆しました。ほとんどがその場で即死しましたが、朝日さんは、川に入って一時を過ごした後、知人に見つけられて可部町の自宅に帰り着きました。重傷の身ながらも、被災した時の様子や学友のこと、休学手続きのことまで話しましたが、8月9日朝死亡しました。
展示説明文(英語) Toshiaki Asahi was a first-year student at Second Hiroshima Prefectural Junior High School. He was exposed to the bomb at his building demolition work site along with 325 other students and teachers. Nearly all died instantly. He made it to the river, where he stayed for a while. Later, he was found by a neighbor and taken to his home in Kabe-cho. Despite his serious injuries, he talked about the bombing, the damage, and what had happened to his friends. He even expressed concern about following the procedure for school absences. He died in the morning of August 9.
資料性質 被爆資料
収蔵場所 本館展示

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広島平和記念資料館 学芸課


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