被爆資料

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資料詳細

識別コード 3103-0002
資料名 ワンピース
資料名(英語) Dress
寄贈者(カナ) 古川 ミツヨ(フルカワ ミツヨ)
寄贈者(英語) Mitsuyo Furukawa
受入年月日 1972/12/27
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 670×1035
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 二葉の里
被爆地(現町名) 二葉の里
爆心地からの距離(m) 1600
数量 1
内容 古川ミツヨさん(当時34歳)は、二葉の里の自宅前庭で被爆し、胸や腕に火傷を負った。一瞬気を失ったが、乳母車に乗せていた三女(当時1歳)と頭に怪我をして帰ってきた次女(当時6歳)を連れて、河原へ逃げた。みるみるうちに両岸が火事になり熱い旋風がまきおこる中、親子三人でぬらした布団をかぶりうずくまっていた。夕方夫も無事かえってきたが、動員学徒として市内中心部へ初めての建物疎開作業に出ていた広島女子商業学校1年生の長女(当時12歳)だけが戻らず、家族全員で長女が見つかるまではと市内にとどまった。10日に長女は見つかったが、重傷を負っており、家族の懸命な看病の甲斐もなく23日に亡くなった。
ブロック別 牛田・広島駅周辺地区
展示説明文 古川ミツヨさん(当時34歳)は、自宅の前庭で被爆し、胸と腕に火傷を負いました。しかし、動員学徒として、市内中心部へ出かけた娘の安否を気づかって、1週間市内に留まった後、郷里に帰って療養しました。娘は父親に見つけられて、郷里に運ばれ、ミツヨさんと再会しましたが、大火傷を負っていて2日後に死亡しました。
展示説明文(英語) Mitsuyo Furukawa (then 34) was exposed to the bomb in her front yard and suffered severe burns on her chest and arms. Nevertheless, concern for the safety of her daughter, a mobilized student who had gone downtown to work, kept her in the city for a week after the bombing. Finally, she gave up and returned to her hometown for treatment. Her husband eventually found their daughter and brought her home. Mitsuyo did see her again, but she had suffered major burns
over her entire body and died two days later.
資料性質 被爆資料
収蔵場所 収蔵庫2

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