被爆資料

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資料詳細

識別コード 3107-0006
資料名 ゲートル
資料名(英語) Gaiters
寄贈者(カナ) 深尾 登(フカオ ノボル)
寄贈者(英語) Noboru Fukao
受入年月日 1980/07/22
寸法(幅×高さ×奥行)(mm)
寸法(その他) 75φ×75
被爆地(旧町名) 松原町
被爆地(現町名) 松原町
爆心地からの距離(m) 1900
数量 1
内容 深尾登さん(当時31歳)は、乗務予定の汽車を待っている時、広島駅ホームで被爆した。強烈な爆風に襲われ、とっさに両手で目を覆ったが火傷を負い、手は膨れ上がり、左頬は皮膚が剥けた。左耳の鼓膜は破れ、全く聞こえなくなった。登さんは、家族の避難先とされていた川内村で再会した母親(当時58歳)と妹(当時22歳)と共に、山県郡の実家にいた妻のところへ向かったが、母親は高熱を発して8月19日に、妹も高熱を発して8月27日に死亡した。妻の貴美枝さんは、登さんらの安否を気遣い、長男の英隆さん(1歳9ヶ月)を背負って8日頃入市。家族の無事を確かめ、疎開先に帰ったが、英隆さんは耳や鼻から膿を出し、9月4日に死亡した。
ブロック別 牛田・広島駅周辺地区
展示説明文 深尾登さん(当時31歳)は、広島駅ホームで乗務予定の汽車を待っているとき、被爆しました。強烈な爆風に襲われとっさに両手で眼を覆いましたが、火傷を負い、鼓膜が破れました。登さんは、家族の避難先に決めていた郊外の川内村で再会した母親(当時58歳)と妹(当時22歳)と共に、山県郡の実家に疎開していた妻の貴美枝さんのところへ行きました。しかし、やがて母親も妹も高熱を発し、8月19日と27日に苦しみながら相次いで亡くなりました。また、息子の英隆さん(当時1歳)も耳や鼻から膿を出して9月4日に亡くなり、登さんはわずか1カ月の間に3人の家族を亡くしました。
展示説明文(英語) Gaiters marked by heat rays
Donated by Noboru Fukao
Noboru Fukao (then, 31) was an engineer waiting on the platform for his train when the atomic bomb exploded. Assaulted by the intense heat and blast, he suffered severe burns and lost hearing in his left ear due to a ruptured eardrum. Noboru was wearing these gaiters on his legs at the time. His wife, Kimie, had already evacuated to her family home in Yamagata-gun. Worried about her husband and other family members, she went to Hiroshima on August 8 with their eldest son, Hidetaka (then, 21 months), on her back. After discovering that the family was safe, mother and son returned to her family home. However, Hidetaka soon developed a pus-like discharge from his ears and nose, likely caused by the effects of radiation from going into the city so soon after the atomic bombing. He died on September 4.
資料性質 被爆資料
収蔵場所 巡回展示用E

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広島平和記念資料館 学芸課


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