被爆資料

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資料詳細

識別コード 9104-0010
資料名 学校教練教科書 前編
資料名(英語)
寄贈者(カナ) 有松 利治(アリマツ トシハル)
寄贈者(英語) Toshiharu Arimatsu
受入年月日 1995/07/28
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 120×150
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 小網町
被爆地(現町名) 小網町
爆心地からの距離(m) 900
数量 1
内容 市立中学校1年生の有松喜治(ヨシハル)さん(当時13歳)は、小網町の建物疎開作業現場で被爆した。全身に大火傷を負っており、父親の喜一さんが見つけたときにはもう、声を聞くまで本人とは分からないほどだった。己斐上町の疎開先の家までたどり着き、喜一さんが背負って自宅に連れて帰ったが、8月7日夕刻死亡した。これは喜治さんが被爆時に身につけていたもの。弟の利治さん(当時10歳)は、父親の喜一さんと二人で喜治さんの遺体を荼毘に付した。その遺骨とゲートルなどの遺品は、背中に大火傷を負って闘病生活を送る母親のミヨ子さん(当時37歳)を見守るかのように、部屋に置かれていた。
ブロック別 十日市・中広地区
展示説明文 被爆時に持っていた学校教練教科書
寄贈/有松利治氏・井上久子氏(ありまつ としはる・いのうえ ひさこ)
爆心地から約900m 小網町(こあみちょう)
市立中学校1年生の有松喜治さん(よしはる 当時13歳)は、建物疎開作業中に被爆。全身に大やけどを負いながらも己斐上(こいうえ)の疎開先の家までたどり着きました。迎えに来た父親の喜一さん(きいち)が背負って自宅へ連れ帰りましたが、喜治さんは翌7日夕方亡くなりました。弟の利治さん(当時10歳)は父親の喜一さんと二人で喜治さんの遺体をだびにふしました。
展示説明文(英語) School training textbook carried at the time of the bombing
Donated by Toshiharu Arimatsu and Hisako Inoue
Approx. 900m from the hypocenter Koami-cho
Yoshiharu Arimatsu (then, 13), a first year student of Municipal Junior High School, was exposed at his building demolition worksite. Burned over his entire body, he nevertheless made it to his evacuation site in Koi-ue. His father (Kiichi) came to the house to carry Yoshiharu home on his back. Yoshiharu died in the early evening of the 7th. His father and ten-year-old brother Toshiharu cremated Yoshiharu’s body.
資料性質 被爆資料
収蔵場所 収蔵庫2

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