被爆資料

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資料詳細

識別コード 3201-0026
資料名 帽子
資料名(英語) Cap
寄贈者(カナ) 杉原 キクエ(スギハラ キクエ)
寄贈者(英語) Kikue Sugihara
受入年月日 2005/05/23
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 260×120
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 皆実町一丁目
被爆地(現町名) 比治山本町
爆心地からの距離(m) 2200
数量 1
内容 県立広島商業学校1年生の東良樹さんは、学校校庭で朝礼を受けているときに被爆した。全身に大やけどを負い、東洋工業の寮に収容されているのを、市内を捜し回っていた母親のミヤコさんに発見された。ミヤコさんは良樹さんを呉の疎開先へ連れ帰り、入院させて懸命な治療を受けたが9月24日に良樹さんは亡くなった。一人息子を亡くしたミヤコさん夫婦は、戦後この遺品を大切に保管していたが、これらの遺品について語ることはなかった。被爆時に身につけていたこの帽子には血痕が残っている。
ブロック別 皆実・宇品地区
展示説明文 帽子
杉原キクエさんのおい、東良樹さんは、当時県立広島商業学校1年生で、朝礼中の校庭で被爆。全身大やけどを負いましたが、救護所となった東洋工業の寮に収容されているのを、母ミヤコさんに発見されました。疎開していた呉市の病院で治療を受けましたが、9月24日に良樹さんは亡くなりました。

寄贈者のコメントより
姉は、救護所に掲示されていた名簿に良樹の名前を見つけたものの、やけどで顔の判別がつかず、腹部の手術跡でわが子であると判断し、連れて帰りました。一人息子を亡くした姉夫婦は、二人きりでその後の生涯を送りました。平成15年に姉が亡くなり自宅を整理した際、洋服ダンスの中から(遺品を)見つけました。姉は生前これらの遺品について何も話しませんでしたので、存在することすら知りませんでした。
展示説明文(英語) Cap
Kikue Sugihara’s nephew Yoshiki Azuma, a first-year student at Hiroshima Prefectural Commercial School, was exposed during morning assembly in the school yard. He was burned over his entire body and taken into a Toyo Kogyo Company dormitory turned into a relief station. That is where his mother, Miyako, found him. She took him to a hospital in Kure City, where the family had evacuated, but he died on September 24.

(from the donor’s comments)
My sister found the name “Azuma” in the ledger at a relief station but could not recognize her son because his face was so disfigured by burns. She recognized him by a surgical scar on his abdomen and took him home to our evacuation site. She and her husband lost their only child and the two of them lived alone the rest of their lives. My sister died in 2003, and these pants and cap were discovered in a chest of drawers when we were cleaning out her house. She had never said a word about keeping these things and no one knew she had them.
資料性質 被爆資料
収蔵場所 収蔵庫2

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広島平和記念資料館 学芸課


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