被爆資料

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資料詳細

識別コード 2301-0024
資料名 弁当箱
資料名(英語) Lunch box
寄贈者(カナ) 植木 研介(ウエキ ケンスケ)
寄贈者(英語) UEKI Kensuke
受入年月日 2015/1/10
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 330×270×40
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 小網町
被爆地(現町名) 小網町
爆心地からの距離(m) 約900m
数量 1
内容 寄贈者の叔父・永野純夫さん(当時12歳)は広島市立中学校1年生で、動員学徒として小網町の建物疎開作業現場で被爆。翌7日、父親の隆三さんは、現場でたくさんの遺体の中から純夫さんをさがしたが、遺体は損傷が激しく分からなかった。近くの天満川の河岸には弁当箱がずらりと並んでおり、その中から「永野純夫」と書かれた弁当箱を見つけた。中身はおかゆのような状態だった。ここに純夫さんはいないと思った隆三さんは、市立中学校の万一の際の避難先に指定されていた己斐国民学校へ向かって純夫さんを捜したが、その日、見つけることは出来なかった。翌8日、隆三さんは弟と共に再び己斐国民学校へ向かい、収容されていた純夫さんの同級生から、「後ろにいるのが永野純夫君。昨日7日夕方に息を引き取った」と聞かされた。はいていたズボンと髪の長さから遺体を純夫さんだと確認した隆三さんらは、校庭で遺体を荼毘に付した。隆三さんは、純夫さんが亡くなる前に会えなかったことを悔やんでいた。
遺品となった弁当箱には、毎年8月6日には日の丸弁当を詰めて仏壇に供え、隆三さんが亡くなった後も家族が今日まで大切に保管してきた。
ブロック別 十日市・中広地区
展示説明文 弁当箱
寄贈/植木研介氏(永野純夫くんの甥) 
爆心地から900m 小網町 
 広島市立中学校1年生だった永野純夫くん(当時12歳)は、建物疎開作業現場で被爆しました。
 翌日、父の隆三さんは、天満川の河岸にずらりと並んでいた弁当箱の中から「永野純夫」と書かれた弁当箱を見つけました。中身はおかゆのような状態でした。ここに息子はいないと思った隆三さんは、避難先に指定されていた国民学校へ向かいました。しかし純夫くんを見つけることは出来ませんでした。
 翌8日、隆三さんは自身の弟と一緒に、再び学校へ向かいました。そこで純夫くんの同級生から、「後ろにいるのが永野純夫君。昨日7日夕方に息を引き取った」と聞かされました。はいていたズボンと髪の長さから純夫くんと確認した隆三さんたちは、校庭で亡骸を荼毘に付しました。隆三さんは、純夫くんが亡くなる前に会えなかったことを、悔やみました。
 遺品となったこの弁当箱は、毎年8月6日には日の丸弁当を詰めて仏壇に供えられ、家族で守り継がれてきました。
展示説明文(英語) Lunch box
Donated by Kensuke Ueki (Sumio's nephew)
900 m from the hypocenter Koami-cho
Sumio Nagano (then, 12), a first-year student at Hiroshima Municipal Junior High School, was exposed to the atomic bomb at his building demolition worksite.
 On August 7, his father Ryuso found a lunch box with the name Sumio Nagano written on it among some lunch boxes left on the Temmagawa River bank. The inside of the lunch box had turned into something like rice porridge. Assuming that his son was not there, Ryuso went to an elementary school designated as an evacuation site, but couldn't find him there either.
 On August 8, Ryuso went to the school again with his brother and was told by Sumio's classmate that a boy lying at the rear of the room was Sumio. He had died on the evening of August 7. Ryuso identified the boy as Sumio by his trousers and the length of his hair, and cremated him on the school grounds. He deeply regretted that he couldn't see his son before he died.
 On August 6 every year since then, Sumio's family had placed white rice and umeboshi (pickled plum) in this lunch box and dedicated it to the family's Buddhist altar. This practice had been preserved in his family until this lunch box was donated to the museum.
資料性質 被爆資料
収蔵場所 収蔵庫3

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広島平和記念資料館 学芸課


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