原爆の絵

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資料詳細

識別コード GE02-10
絵の内容 叔母一家の焼け跡、家族の骨を探す人
作者名(カナ) 藤田 弥生(フジタ ヤヨイ)
作者名(英語) FUJITA Yayoi
当時の年齢 26歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/8
情景場所 大手町四丁目
情景場所旧町名 大手町四丁目
情景場所現町名 大手町二丁目
爆心地からの距離 400m
ブロック別 紙屋町・本通地区
作者の説明 **絵の中
昭和20年8月8日 晴天
新橋通りから見た大手町4丁目
4丁目に住んで居た叔母一家をさがして入市した
今にもくずれ落ちさうな不動銀行の門
こヽが叔母の住んで居た所
生残りの西田さん
家族の骨を探して
午前中に路の死体は片付けられ火葬中だと西田さんからきかされた。
爆風に家々はたほされ路はとってもせまくなってゐた
焼趾は今だくすぶって熱い熱い灰だった
レンガやセメントの流し台。水道の蛇口などが灰の中に見える
白シミーズ姿の女の死体
**裏
藤田弥生
サイズ(cm) 25.5×35
展示の説明文 叔母さん一家を捜す
1945年(昭和20年)8月8日 
藤田 弥生 (原爆投下時26歳、絵を描いた時55歳)
【作者のことばから】
 大手町に住んでいた叔母一家を捜して入市した。今にも崩れ落ちそうな不動銀行の門。ここが叔母さんの住んでいた所。爆風に家々は倒され、路はとっても狭くなっていた。焼け跡は未だくすぶって熱い熱い灰だった。
展示の説明文(英語) Looking for our aunt's family
August 8, 1945
Yayoi Fujita (26 at time of bombing, 55 at time of drawing)
[Notes from the artist]
We entered the city to look for our aunt's familiy who lived in Ote-machi. Here is the gate to Fudo Bank looking like it could fall at any moment. This is where she lived. Her house was blown away in the blast and the road had become much narrower. The smoldering ashes were still very hot.

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