原爆の絵

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資料詳細

識別コード GE13-16
絵の内容 被爆した2人の女学生と私
作者名(カナ) 松村 智恵子(マツムラ チエコ)
作者名(英語) Chieko Matsumura
当時の年齢 33歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/6 (時刻)9:00頃
情景場所 土手町
情景場所旧町名 土手町
情景場所現町名
爆心地からの距離 1,500m
ブロック別 比治山・仁保地区
作者の説明 **絵の中
土手町で被爆した二人の女学生に出逢った
八月六日午前九時頃であっただろうか。
私は段原小学校の校舎の下敷となったが間もなく這い出る事が出来た。
幸い手の甲にかすり傷をした程度であった。あたりはまっ暗で何も見えない。ピカッ!と光りは目にはいったがその後はどうなったのか何もわからない。暗いやみの中にかすかに赤い火の手がメラゝとするのが見えた。
B29が学校をねらって爆彈を落したのだのだなと思って校門を出た。どこまで行っても倒れた家ばかりで道路も見えない。見当をつけて道だと思う所をふみこえてやっと広い道の土手町まで出た。土手町のわが家は全壊、川の向うも見渡す限り街のすがたはなくその時の気持は筆舌の及ぶものではない。
その時石垣にもたれて二人の女学生が互いにだき合うようにしてうずくまっていた。私を見つけると、「一諸につれて逃げてください。」といった。見ると服は肩から背中にかけてやきちぎれ皮ふもぼろ布のように破れて垂れさがっていた。肉はやきたヾれて汁が流れ出ていた。
他の一人は両方の眼球がとび出てぶらさがっていた。私はその恐しい形相にびっくりした。「目が見えないんだね。」というと他の方が「そうです。」と答えた。私は連れて逃げるといっても二人共私よりからだが大きい。それに一人は目が見えない。どうなる事かと思ったがほって逃げるわけにはいかない。
二人を両方の肩によりかからせ両手で二人のからだを支えた。三人はよろめきながらやっと比治山の登山口までたどりつき倒れそうになる二人をはげましながらやっと比治山の登山口までたどりつき倒れそうになる二人をはげましながらのぼりはじめた。道の両側は死人が折り重なり息のある者は必死で水-水といっている。両肩の二人も「水がほしい。」と言った。どうもしてやれない。ほんとうに水とはどんなに尊い物であるかわかった。途中で出逢った大学生が「その二人に水を飲ませてはだめですよ。すぐ死にますよ。」とおしえてくれた
「がまんするのよ。」と私は言った。
段原中学(旧第一高等小学)にたどり着いたのは十一時頃であったろうか。防空壕の中で三時までいた。私は府中町に疎開さしているわが子の事を思い出し、松田校長に二人の女学生の事を頼んで帰った。翌朝すぐに一高に行って見ると二人の女学生は昨夜防空壕の入口近くで死んだ、と校長から知らされた
残念なことに私は名前や学校名を聞くことを忘れていた。許してください。
今でおもえば一番大切なことであったのに-。
松村智恵子 63才
サイズ(cm) 38×54
展示の説明文 道の両側には死人が折り重なり、息のある者は必至で水、水といっている。両肩の2人も「水がほしい」と言った。どうもしてやれない。ほんとうに水とはどんなに尊いものであるかわかった。
展示の説明文(英語) On both sides of the road, dead people were lying over one another. People who were still breathing were desperately calling for water. Two people I was supporting on my shoulders also asked me to give them some water. I could do nothing for them. How precious water was!

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