原爆の絵

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資料詳細

識別コード GE15-50
絵の内容 中学生のいたましい姿
作者名(カナ) 後藤 利文(ゴトウ トシフミ)
作者名(英語) Toshifumi Goto
当時の年齢 19歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/6 (時刻)9:30~
情景場所 陸軍船舶通信連隊、船舶通信補充隊裏比治山防空ごう付近
情景場所旧町名 皆実町、比治山本町
情景場所現町名 皆実町、比治山本町
爆心地からの距離 2,220m
ブロック別 比治山・仁保地区
作者の説明 **絵の中
No.2
陸軍電信隊裏比治山防空ごう附近にて午前九時半より
終日、食事も、水も口に入れず救護に従事。
兵、市民、住宅疎開の中学生 それらの中で一滴の水も飲めなかった。何故なら水筒には水を入れていたが傷者が火傷がひどいので水をあたえると良くないと云われたし、一つの水筒の水が何程あろう。「水、水、兵隊さん水を」の声が耳に一ぱい聞かれすべてに応じることが出来ない「これは水ではない薬だ」といった。
赤茶色の山はだが動く、時に動く!!私達八名の救援隊の赤十字の旗をみて山に入っていた人人の波がこちらに動いて来た。中学生の白いはちまきが印象に残っている。女の子も男の子も赤黒く焼けた姿、手の皮が焼けただれ指先の爪のところで手袋をぬぎかけた様にくっついてさがっている。「僕はどうなるん…」といった中学生の声がいたましく想い出される。
何千何万の人がこの山一帯にいたでありましょう。
後藤利文ゑ
S50.6.8
**実態調査
(陸軍電信隊と道路をへだてて、広島師範学校附属小学校前)
家屋疎開に動員された市内中学生(1~2年生)
サイズ(cm) 38×54
展示の説明文 火傷で苦しむ中学生らの救護に懸命に従事する兵隊
爆心地から2,000m、比治山防空壕付近(南区比治山本町)
1945(昭和20)年8月6日午前9時30分ごろ
後藤 利文(原爆投下当時19歳、絵を描いた時の年齢49歳)
絵中解説
食事も、水も、口に入れず救護に従事。私達八名の救援隊の赤十字が山に入っていくと、人々の波がこちらに動いて来た。中学生の白いはちまきが印象に残っている。女の子も男の子も赤っぽく焼けた姿。手の皮が焼けただれ指先の爪のところで手袋をぬぎかけた様にくっついてさがっている。「僕はどうなるん…」といった中学生の声がいたましく想い出されるが、何千何万の人がこの山一帯にいたでありましょう。
展示の説明文(英語) Near an air-raid shelter, soldiers help junior high school students suffering from burns.
2,000m from the hypocenter, near Hijiyama Hill air-raid shelter (Hijiyama-hon-machi, Minami-ku)
August 6,1945, around 9:30 a.m.
Toshifumi Goto (19 at time of bombing, 49 at time of drawing)
Explanation in picture
Soldiers helped people without stopping to eat or drink. When our Red Cross rescue unit of eight arrived at the hill, waves of people moved toward us. I was struck by the junior high students・white headbands. Girls and boys alike were burned bright red. The skin on their arms had peeled and hung from them, attached only at their fingernails, as if they had partially removed their gloves. I painfully recall the voice of a boy who asked, "What't going to happen to me?" Thousands, no, tens of thousands, were on that hill.

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