原爆の絵

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資料詳細

識別コード GE16-17
絵の内容 救護所での被災者達、ほとんどの人が手当もなく皆虫の息であった。
作者名(カナ) 古川 正一(フルカワ ショウイチ)
作者名(英語) FURUKAWA Shoichi
当時の年齢 32歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/9 (時刻)午前
情景場所 広島東警察署
情景場所旧町名 下柳町
情景場所現町名 銀山町
爆心地からの距離 1,210m
ブロック別 銀山・幟地区
作者の説明 **絵の中
昭和二十年八月九日午前
銀山町電車通り角の現広島銀行支店の建物はくずれ落ちていなかった。内部は黒ずみくずれてはいたが、たくさんの被爆した人達が、よりあい、たおれ、中にはそのままで死亡している人達もいた。生きている人は一ように水を水をと言う…
右の女の人に、水筒の水を上から口に流してあげたが、飲みこまなかった。目は開けていたが死んでいた。きず口にうじ虫が動いていた。ほとんどの人がてあても無く、皆虫のいきだった…其後この人達はいきられたのだろうか。死なれたのだろうか・・・・・
合掌
**裏
古川 正一
六十三才
サイズ(cm) 42×59.5
展示の説明文 手当てもなく、皆虫の息だった… 生きている人は一様に水を水をという…
爆心地から1,210m 広島東警察署 
下柳町(現在の銀山町)
1945年(昭和20年)8月9日午前
古川正一氏(当時32歳)
【作者のことばから】
たくさんの被爆した人たちが、よりあい、たおれ、中にはそのままで死亡している人たちもいた。生きている人は一様に水を水をと言う… 右の女の人に、水筒の水を上から口に流してあげたが、飲み込まなかった。目は開けていたが死んでいた。きず口にうじ虫が動いていた。ほとんどの人が手当てもなく、皆虫の息だった… その後、この人達は生きられたのだろうか。死なれたのだろうか… 合掌。
展示の説明文(英語) Most were left untreated, and on the brink of death. Those alive invariably craved for water
1,210m from the hypocenter Hiroshima Higashi Police Station
Shimo-yanagi-cho (now, Kanayama-cho)
August 9, 1945, morning
Drawn by Shoichi Furukawa (age 32 at the time of the bombing)
[Excerpt of artist comment]
The place was full of victims, who were resting on each other or lying down, some already dead. Those alive invariably craved for water…. I poured the water from my flask into the mouth of the woman on my right, but she didn’t swallow. Her eyes were open but she was dead. Maggots had already infested her wounds. Most were left untreated, and on the brink of death. I wonder to this day whether they survived or died. I pray for the peaceful repose of their souls.

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