被爆資料

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資料詳細

識別コード 9301-0177
資料名 罹災証明書
資料名(英語) Disaster Certificate
寄贈者(カナ) 大門 悟朗(オオカド ゴロウ)
寄贈者(英語) OOKADO Goro
受入年月日 2018/1/9
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 90×126
寸法(その他)
被爆地(旧町名)
被爆地(現町名)
爆心地からの距離(m)
数量 1
内容 警防団員だった大門了一さん(当時63歳)は、事務所があった竹屋国民学校で被爆。幸いけがはなく、すぐに富士見町の自宅に向かった。爆心地から約1,100メートルにあった自宅は倒壊しており、了一さんは崩れた建物を取り除きながら、中にいた家族に声を掛けた。
「オジイチャン、タスケテ…」という孫の叫びが聞こえ、屋根材、天井板などを取り除き助けようとしたが、火が回ってきてどうにもならず、了一さんは、防火用水槽に飛び込みムシロを被って火を避け、火勢が弱まるのを待った。このとき、自宅では妻のタケさん(当時57歳)、娘の室脇松枝さん(当時35歳)、孫の侑子ちゃん(当時5歳)、千恵子ちゃん(3歳)の4人が建物の下敷きになり、逃げられないまま亡くなった。
8月8日、了一さんは、勤務先などへ行っていて無事だった娘の布子さん(当時20歳)、息子の悟朗さん(当時15歳)、孫の隆さん(当時7歳)と再会。悟朗さんが腕に少しかすり傷を受けていただけで、了一さんらは無傷だった。しかし、8月半ばから了一さんの体に異変が現れ、元気がなくなった。4人は、山口県の親戚宅に身を寄せたが、9月の初め頃から了一さんの体調はすぐれず、医者に見せても病名も分からず、投薬もないまま牛乳で栄養をとるだけの日が続き、1946年(昭和21年)に亡くなった。
ブロック別 国泰寺・千田地区
展示説明文 罹災証明書 
寄贈 大門悟朗
警防団員の大門了一さん(63)は、竹屋国民学校で被爆した。すぐに富士見町の自宅に戻り、崩れた建物を取りのぞきながら、中にいた家族に声をかけると、「オジイチャンタスケテ・・」と孫の叫び声がしたが、火が回ってきてどうにもならなかった。
泣きながら、妻、娘、2人の孫娘の骨を、焼け跡で拾った。
その後了一さんも体調を崩し、病名も分からぬまま、1946年死亡。
展示説明文(英語) Disaster Certificate
Donated by Goro Okado
Ryoichi Daimon (63), a member of a civil defense unit in those days, was exposed to the bombing at Takeya Elementary School. He soon returned home in Fujimi-cho. While removing debris from his collapsed home, he shouted to his family trapped under the home. He heard his grandchildren screaming “Grandpa! Help me!” but flames were spreading toward him. There was nothing that he could do any longer.
He picked up the skeletal remains of his wife, daughter and two granddaughters in the burned-out ruins in tears.
Afterwards, Ryoichi also fell ill, and died in 1946 with his cause of death unknown.
資料性質 被爆関連資料
収蔵場所 収蔵庫2

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