被爆資料

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資料詳細

識別コード 1210-0079
資料名 コンパクト
資料名(英語) Compact 
寄贈者(カナ) 石井 ミホカ(イシイ ミホカ)
寄贈者(英語) ISHII Mihoka
受入年月日 2017/7/14
寸法(幅×高さ×奥行)(mm)
寸法(その他) 65φ×10
被爆地(旧町名) 大手町八丁目
被爆地(現町名) 大手町四丁目
爆心地からの距離(m) 1000
数量 1
内容 寄贈者の妹、内田サヨ子さん(当時15歳)のもの。原爆で全身にやけどを負って亡くなったサヨ子さんの形見の品として、寄贈者がずっと仏壇に収めていた。
【姉・ミホカさんのお話から】
その朝、妹は下宿していた昭和町の叔母の家を出て、職場に徒歩で向かう途中、明治橋で被爆し、全身にやけどを負った。妹は、同級生が看護婦をしていた宇品の広島陸軍共済病院まで何とかたどり着いたが、気を失い、気がつくとベッドの上だったそうだ。妹は、その同級生が妹だとはじめ気付かないほどひどいやけどで、顔はパンパンに腫れて皮膚はズルズルに剥け、衣類ははぎ取られたシュミーズが片方の紐だけ残った状態だった。全身どろどろで臭く、長かった髪の毛もじりじりで地肌に貼りついていた。
被爆翌日、妹が広島陸軍共済病院にいると聞いた能美島の家族は、8日、戸板を持って船で迎えに行き、妹を連れて帰った。家に帰ってから、妹は母親に「鏡を見せてほしい」と頼んだが、かわいそうで見せられないと思った母親は、「もう少し良くなったら見せてあげる」と言って鏡を見せなかった。治療の薬はなく、きゅうりやじゃがいもの薄切りを貼ったり、スギの粉をふりかけたりする以外、なす術がなかった。ハエがくるので部屋に蚊帳を張って看護した。
被爆から二週間後、妹が「山が見たい」というので、布団ごと引きずって縁側に連れて行き、外を見せた。縁側から山など見えないが、妹は「きれいな山だね」と言って翌日息を引きとった。15歳の夏だった。死ぬ前、顔だけは少しきれいになっていたのがせめてもの慰めだった。
妹は、昭和20年の4月から見習いとして大手町の眼科で働き始めた。将来は勉強して助産婦になり、満州に行くと希望を膨らませていた。しかし、その希望は一瞬のうちに原爆によって奪われてしまった。
コンパクトにはおしろいが入っていた。戦時中ではあったが、少しでもお洒落をしようと思って持っていたものではないかと思う。
ブロック別 国泰寺・千田地区
展示説明文 目薬のびん コンパクト 
寄贈 石井ミホカ
内田サヨ子さん(14)は、勤めていた大手町の眼科へ向かう途中に被爆。
顔はパンパン、皮膚はずるずるで県病院にたどり着く。
髪の毛はじりじりになり、地肌にはりついていた。
8日、家族に連れられて帰宅するが、19日死亡。

姉・ミホカさんのお話より
サヨ子は母に「鏡を見せてほしい」と頼むが、母は見せなかった。
可哀想で見せられなかったそうだ。
「山が見たい」と言うので、布団ごと引きずって縁側に連れていくと「きれいな山だね」と言った。
その翌日息を引き取った。縁側から山など見えなかった。
死ぬ前、顔が少しきれいになっていたのが、せめてもの慰めだった。

目薬は勤め先でもらったもの。
コンパクトにはおしろいが入っていた。
展示説明文(英語) Bottle of Eye Drops and Compact 
Donated by Mihoka Ishii
Sayoko Uchida (14) was exposed to the bombing on her way to work at an eye clinic in Ote-machi.
She managed to reach a prefectural hospital with her face completely swollen and her skin hanging down.
Her hair was frizzled, with some of it plastered against her skin.
She was taken home by her family on the 8th, but died on the 19th.

Testimony by Her Elder Sister Mihoka
Sayoko asked our mother, “I want to look in a mirror,” but our mother did not allow her to do so.
Mother told me that she felt so sorry for her that she could not give her a mirror.
Since Sayoko said “I want to see the mountains,” we dragged her futon with her on it to the veranda. She said, “Beautiful mountains.”
On the following day, she died. Actually, no mountains were seen from the veranda.
Immediately before her final moments, the damage to her face had slightly healed, which was the only solace given to us.

The bottle of eye drops was given at her workplace.
Inside the compact was makeup powder.

資料性質 被爆資料
収蔵場所 収蔵庫3

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