原爆の絵

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資料詳細

識別コード SG-0077
絵の内容
作者名(カナ) 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ)
作者名(英語) Yoshio Hamada
当時の年齢 26歳
寄贈者名 藤堂 清
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時
情景場所 陸軍幼年学校付近
情景場所旧町名 基町
情景場所現町名 西白島町
爆心地からの距離 1,340m
ブロック別 基町・白島地区
作者の説明 **絵の中
(NHKわがなつかしの広島)絵の本 戦時中
西練兵場
信号所
陸軍病院
芸備銀行
宇品へ
紙屋町電車通りを宇品港に向けて出陣をしている歩兵部隊。この勇士達を市民の皆様が手に手に日の丸の小旗を持ち万歳々と声高らかに万歳の声は紙屋町電停付近をこだましている。戦争の無い全世界であることを願うのみ
被爆者 浜田義雄

陸軍弾薬庫
陸軍病院本院
野砲隊
陸軍幼年学校
用品倉庫
お堀
司令部

私記
やがてピカドン・でも私はド・・・ンとゆう大きなおとを聞くことなく陸軍幼年学校もろとも吹き飛ばされて私はガレキのそこにうまっていた 私の身につけていた軍服はちぎれて血どろもであった でも生きられた 
中国軍管区広島第二總軍司令部昭和二十年八月六日本土決戦部隊赤穂第二二四師団司令部基町“陸軍幼年学校”陸軍歩兵西部第二部隊赤穂部隊(師団司令部付浜田義雄)広島市への原子爆弾投下は八月六日の早朝であるが実のところ次のとうりでした。赤穂兵団は八月二十二日の日に私達司令部の将兵は長野県へ行く広島第五師団へ入隊の将兵で尾道出身の将兵が多く多くの戦死者が出傷ついた人達特に歩兵十一隊は戦友達と共に被爆をし特に私は傷ついていた。でも私は戸坂小学校から焼けただれた司令部へそして紙屋町へ多くの被爆者はぢりぢりもえていた。
サイズ(cm) 26×45.4
展示の説明文
展示の説明文(英語)

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