原爆の絵

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資料詳細

識別コード SG-0297
絵の内容 倒壊した建物の下敷になって亡くなった兄
作者名(カナ) 木村 秀男(キムラ ヒデオ)
作者名(英語) KIMURA Hideo
当時の年齢 12歳
寄贈者名
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時 1945/8/12
情景場所 広瀬国民学校講堂
情景場所旧町名 広瀬北町
情景場所現町名 広瀬町
爆心地からの距離 1,100m
ブロック別 十日市・中広地区
作者の説明 兄の木村豊さん(ゆたか 当時19歳)が被爆死した際の様子を描いたもの。豊さんは防衛招集を受け、広瀬国民学校講堂で駐屯中に被爆。8月5日の夜が夜勤で、被爆時は夜勤明けで講堂で寝ていた。被爆後、帰ってこない豊さんを捜して、父親と豊さんの姉が何日も市内や島を捜し歩いたが見つからず、もうこれが最後だと8月12日に広瀬国民学校講堂の焼け跡へ行ったところ、戸口の方へ向かうような姿で亡くなっている遺体を発見。遺体は半分焼けており、ベルトのバックルに掘り込まれた名前で豊さんだと確認することができた。
サイズ(cm) 46×53
展示の説明文 兄が被爆死したときの様子
絵/木村秀男氏
1945(昭和20)年8月 爆心地から1,100m 広瀬国民学校 広瀬北町
作者の兄・木村豊さん(当時18歳)は、広瀬国民学校で被爆。父と姉が、何日も救護所を捜し回りました。しかし、豊さんを見つけることができず、最後にと立ち寄った広瀬国民学校講堂の焼け跡で、戸口の方へ向かうような姿で亡くなっている遺体を発見しました。遺体は、頭部と胴体だけになっており、ベルトのバックルに彫りこまれた名前で、豊さんだと確認しました。
展示の説明文(英語) Situation where a brother died in the A-bombing
Drawn by Hideo Kimura
August 1945 1,100m from the hypocenter Hirose Elementary School Hirose-kita-machi
The artist's elder brother, Yutaka Kimura (then, 18), was exposed to the bomb at Hirose Elementary School. His father and elder sister looked for him for days at several first-aid stations. However, they could not find Yutaka until they found a dead body lying toward the door in the burned-out ruins of Hirose Elementary School auditorium, which they decided would be the last place they look. Although the body was reduced only to the head and torso, it was identified as that of Yutaka with his name carved on the belt buckle.

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