原爆の絵

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資料詳細

識別コード SG-0346
絵の内容 江波町、西側の路上で這い疲れて死んだ8ヵ月の幼児
作者名(カナ) 神谷 一雄(コウヤ カズオ)
作者名(英語) Kazuo Koya
当時の年齢 20歳
寄贈者名 神谷 タマ子
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時 1945/8/8
情景場所 江波町
情景場所旧町名 江波町
情景場所現町名 江波二本松
爆心地からの距離 3,600m
ブロック別 吉島・舟入・観音地区
作者の説明 (別紙1)1945.8.7 江波町。西側の路上で這い疲れて死んだ8ヵ月の幼児。(別紙2)8月7日15時頃 炎天下の広島市江波町。原爆の為、さつま芋の葉は半分枯れかかり、無花果の葉は飛び散り、枝は折れ固い実が一ツだけ残っていた。私達救護班(看護婦2人、傷病兵2人、担架1ヶ)は70歳位のお婆さんを担架に乗せて病院の救護所へ帰る途中に8ヵ月足らずの男の子が熱い砂の上を這って行くのを見た。助けたい、出征時の弟に良く似たかわいい子だ、何とかして救護所迄運びたい。2度3度の救護活動は別の地区へ廻された。作業が終わり、その夜は助けられなかったことで眠れなかった。明けてまた救護活動が始まった。待っていてくれ今日は助けてやるぞ、乳呑子を誰が見るかと救護所でしかられようとも覚悟を決めて。8月8日10時頃、昨日見た所から100メートル位這っていた。どうぞ生きていてくれよ、もうすぐだ。近寄って触るとその体は冷たく硬直していた。6日から2日間、焼けた砂の上を、温度の下がる夜露の中を這い廻り、手足の皮膚は破れ、血がにじんでいる。苦しかったろう、辛かっただろう。声を限りに母を呼び、泣き声も涙も嗄れて、肉体から消えた魂は父母の所へ行っていることだろう。此の子は父母にかわいがられて行末永く倖に生きたであろう。幼子の命も原爆のため炎天下の路辺に打ち捨てられて、泣き叫び続けて2昼夜、行方も知らぬ1人旅を続けていずこに宿る所も無く、闇路にさまよう幼子にいだいてあやす人もなく、添い寝をたのむ母も死し。ああお母さん苦しいよう、ああお母さん熱いよう、痛いよう… ああお母さんお乳がほしいよう… 誰か助けてー助けて… もの言えぬ乳呑子は体力の続く限り這い続けて魂は消えていった。私の胸の中で何十年も助けてーと叫び続けるのは、此の世に生を受けて8ヵ月位、這うことと泣くことしか知らない乳呑子のあまりにいたましい、かわいそうなかなしい死にざまのせいだろう。あの世とやらでお母さんの胸で腹一杯お乳を呑んでいることでしょう。すまなかった、もう1日早ければ助かったのに無念だ。落ちる涙に耐えられなかったのは私達4人の救護班だけでは無かった。幾度となく夢に出てくるあの子。たまらない。生涯私の心の重荷として背負って行かねばならぬ。助けられなかったあの子の御霊よ、母のもとで安らかに眠りたまえ。なむあみだぶつ。1982年(昭和57年)11月5日 作成 神谷一雄
サイズ(cm) 37.9×53.9
展示の説明文
展示の説明文(英語)

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